暑さも落ち着き、過ごしやすい季節になってきました。
秋晴れの10月は、とても気持ちが良いですね。
今回は、昔農家さんから学ぶ10月の農作業と、農事歴をご紹介いたします。
- 昔農家さんから学ぶ10月の農作業について
- 10月の農事歴
- 10月の農事歴
- 七十二候(第四十八候)水始めて涸れる(みずはじめてかれる ― 新暦10月3日頃)
- 二十四節気_寒露(かんろ ― 新暦10月8日頃)
- 七十二候(第四十九候)鴻雁来(こうがんきたる ― 新暦10月10日~12日頃)
- 十三夜(じゅうさんや ― 新暦10月中旬)
- 七十二候(第五十候)菊の花開く(新暦10月13日~17日頃) 重陽の節句(ちょうようのせっく ― 新暦10月上旬~下旬)
- 七十二候(第五十一候)蟋蟀戸に在り(こおろぎとにあり/きりぎりす とにあり ― 新暦10月18日頃)
- 二十四節気_霜降(そうこう ― 新暦10月23日頃)
- 七十二候(第五十二候)霜始めて降る(新暦10月25日頃)
- 七十二候(第五十三候)霎(しぐれ)時々施す (新暦10月28日頃)
- 秋の七草
- まとめ
昔農家さんから学ぶ10月の農作業について
天高く馬肥ゆる秋(てんたかく うま こゆる あき)
「天高く馬肥ゆる秋」は、中国に由来する表現と言われており、澄み切った秋晴れが続き、食べ物が美味しく、馬も太ってくるという意味で、秋の季節のすばらしさを詠う句です。
諸説あるようですが、農事に関しては、厳しい冬の寒さに備えて、家畜にも滋養を与えておきましょうという意味があるようです。
秋は、私たちヒトも食欲が増す季節ですが、昔農家さんは「お礼肥(おれいごえ)」として、畑にも稲わらを施し、滋養をつけていました。
夏の酷暑の中の畑仕事が落ち着き、疲れが出てくるのはこの頃ですね。
収穫した美味しい作物を頂きながら、畑にもこの時期にメンテナンスをしてあげましょう。
昔農家さんから学ぶ10月の農作業
現代の家庭菜園で使われている化学肥料や単肥(たんぴ=窒素・リン・カリウムのうち、2つの成分以上を含んでいる肥料)は、江戸時代には存在していませんでした。
そのため、当時の農家さんは 人糞や、はきだめのゴミを焼くなど、苦労しながらあらゆるものを肥料にしていました。
その中で、昔農家さんが肥料として使っていたものの1つに、私たちが活用できるものがあります。それは、「藁」です。
わらは畠のこやしによくきく。万物草をいのこやしとしれ。麦畑の根こえに用いる、畑やわらぎ、夏作毛までよくできるなり。夏作毛・秋作毛のこやしにすべからず。緒虫多くわくものなり
引用 「百姓伝記」巻六「不浄集」(参考文献 久保田豊和著「新版 暦に学ぶ野菜づくりの知恵 畑仕事の十二ヵ月」)
ワラは、畑の肥料として効果があり、すべての植物を生長させる肥料となる。
麦畑の元肥にワラを使うと、畑は団粒構造でふかふかになり、その後の夏に栽培する野菜の生育も良くなる。
ただし、夏に栽培した作物の残渣を、秋の作物の肥料に使ってはならない。
なぜなら、さまざまな害虫の発生源となるからである。※1
百の肥やしより、一季の旬
10月は、畑をメンテナンスするのに適した時期ではありますが、過度に肥料を施しますと、野菜の生長がかえって妨げられ、味も悪くなってしまう場合があります。
「百の肥やしより、一季の旬」は、先人から語り継がれているもので、「千駄の肥より一時の季」(千駄=せんだ=たくさんの意味)とも言います。
肥料はいちどにたくさん与えても効果はなく、適した時期に適材適量を施すべきである、という意味です。
金木犀の香りの中で種まきを
金木犀が咲いたら、種まきの合図です。
10月の農作業は、サツマイモ、落花生、ダイズ、秋そばなどの収穫、ほうれん草、ネギ、ゴボウ、ミツバ、ホウレンソウ、コマツナ、キョウナ、ダイコン、ソラマメ、エンドウなどの種をまきましょう。
参考文献 久保田豊和著「新版 暦に学ぶ野菜づくりの知恵 畑仕事の十二ヵ月」
10月の農事歴
私たちは現在 太陽暦にて暮らしておりますが、江戸時代以前の農家さんたちは、旧暦にて農作業を行っておりました。
現代においても旧暦の農事を参考にしますと、野菜づくりの良き指標となるかと思いますので、ご紹介いたします。
10月の農事歴
1日 | |
2日 | |
3日 | 水始めて涸れる_七十二候(第四十八候) |
4日 | |
5日 | |
6日 | |
7日 | |
8日 | 寒露(旧暦9月1日頃)_二十四節気 |
9日 | |
10日 | 鴻雁来(こうがんきたる)_七十二候(第四十九候) |
11日 | |
12日 | |
13日 | 菊の花開く(重陽の節句(旧暦9月9日))_七十二候(第五十候) 十三夜(旧暦9月13日) |
14日 | |
15日 | |
16日 | |
17日 | |
18日 | 蟋蟀(きりぎりす)戸に在り_七十二候(第五十一候) |
19日 | |
20日 | |
21日 | |
22日 | |
23日 | 霜降_二十四節気 |
24日 | |
25日 | 霜始めて降る_七十二候(第五十二候) |
26日 | |
27日 | |
28日 | 霎(しぐれ)時々施す_七十二候(第五十三候) |
29日 | |
30日 |
参考文献 久保田豊和著「新版 暦に学ぶ野菜づくりの知恵 畑仕事の十二ヵ月」
七十二候(第四十八候)水始めて涸れる(みずはじめてかれる ― 新暦10月3日頃)
「水始めて涸れる」は、2つほど解釈があり、1つは、「川の水がやせ、井戸が涸れたようになる」、もう1つは、「水田の水がなくなる時期」です。
私たちは、後者の「田んぼの水気が枯れ始めてくるので、稲刈りに備える時期」の説ほうが、理解しやすいかもしれませんね。
二十四節気_寒露(かんろ ― 新暦10月8日頃)
旧暦の9月1日頃です。
秋分の日から15日後に草草には冷たい露が結びます。
寒露は、「冷たい露」という意味で、白露の頃(現在の9月7日の頃、旧暦の8月1日の頃)には輝いて見えていた露も、寒々とした眺めになってくる時期です。
七十二候(第四十九候)鴻雁来(こうがんきたる ― 新暦10月10日~12日頃)
ガンが北から渡ってくる頃です。
先人は、ガンが渡ってくる頃に吹く北風のことを「雁渡し」と呼んでいました。
十三夜(じゅうさんや ― 新暦10月中旬)
中秋の名月につづき、旧暦9月13日の夜(現在の10月中旬)に、昔農家さんは もう一度、お月見をしていました。
十三夜は、毎月の「13日の夜」のことですが、昔農家さんたちにとって、特に旧暦の9月13日は格別の日でありました。
この月は、五穀(米・麦・あわ・きび・豆)を収穫する最盛期で、そのほかに、サツマイモやダイズ、ミカンやナシなどの果樹、カキ、栗など、多くの作物を収穫し、昔農家さんは、十三夜に栗や豆を供えて収穫に感謝をしました。
なお、中秋の名月は中国から伝わった風習ですが、十三夜は日本独自のもので、満月ではなく、これから満ちてゆく十三夜の月を眺め、その美しさを感じていたようです。
完全ではないものを堪能するという感性は、日本人独特のものだったのかもしれません。
七十二候(第五十候)菊の花開く(新暦10月13日~17日頃) 重陽の節句(ちょうようのせっく ― 新暦10月上旬~下旬)
五節句の1つである「重陽の節句」は、「菊の節句」とも呼ばれています。
陰陽道※1で「陽」の数とされた奇数の中で、9月9日は最大の「九」が重なるおめでたい日として、昔は菊を飾り、長寿を祝い、菊酒を飲んで盛大にお祝いをしました。
3月3日の桃の節句、5月5日の端午の節句、7月7日の七夕などに比べ、私たちが重用の節句に馴染みが薄いのは、9月はまだ菊の季節ではないからかもしれませんね。
※1 古代中国で成立した陰陽五行説を基盤とした日本独自の自然科学・天文・暦・呪術の体系
※ 旧暦の9月9日は、新暦では10月になります。
[重陽の節句について]明日のネタ帳「重陽の節句」
[五節句について]「五節句」はいつ?意味や由来とは?それぞれの別名と食べ物
七十二候(第五十一候)蟋蟀戸に在り(こおろぎとにあり/きりぎりす とにあり ― 新暦10月18日頃)
直訳をすると、「家の中にコオロギ(キリギリス)が入ってきて鳴き始めます。」ですが、秋の虫が戸口で鳴く時期という意味で、中国最古の詩集「詩経(しきょう)」の「七月」という詩の中には、つぎのような一節があるそうです。
七月は野に在り、八月は宇(=軒)に在り、九月は戸に在り、十月は蟋蟀我が牀下(しょうか=床下)に入る。
初秋の頃は、野原で鳴いていた蟋蟀も、秋が深まるにつれ、だんだん人家に近づいてくる。という意味です。
そういえば、虫の声は、秋が深まるにごとに大きくなっているように感じますね。
なお、明治時代の略本歴では、「蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)」と読み、江戸時代の貞享暦では「蟋蟀在戸(こおろぎとにあり)」と読んでいたようです。
この時期の虫の声は、コオロギのように思うのですが、キリギリスという説もあるそうです。
二十四節気_霜降(そうこう ― 新暦10月23日頃)
北国、山間地で 霜が降りはじめ、白化粧する頃で、この日から立冬まで吹く北風を「木枯らし」といいます。
日増しに気温が下がり、日脚の短さを感じるのもこの時期で、人はなぜか 日が落ちるのが早くなると悲しい気持ちになるのが不思議ですね。
七十二候(第五十二候)霜始めて降る(新暦10月25日頃)
北国ではそろそろ初霜が見られる頃ですが、地域によっては、霜はまだ先のところもあるでしょう。
現代を生きる私たちも、季節季節のものを目にするたびに歳月を感じますが、昔農家さんは、霜を目にしたとき、「もう一年が経ったのだな」と思うことが多かったそうです。
なお、「霜」が含まれる言葉に、「星霜(せいそう)」「歳霜(さいそう)」などがありますが、いずれも年月(としつき)という意味を持っています。
たった一夜で、農作物に大きな被害をもたらす「霜」を、昔農家さんは つねに意識していた証かもしれませんね。
七十二候(第五十三候)霎(しぐれ)時々施す (新暦10月28日頃)
時雨(しぐれ)は、晩秋から初冬にかけ、降ったりやんだりする雨のことで、この時期は小雨がときどき降ります。
定まらず時折 降る時雨に、先人は 人生の心の移ろいを重ねて眺めていたと言われており、時雨の降りそうな天気は、涙がこぼれそうな気持ちに例えられ、「時雨心地(しぐれごこち)」と言います。
なお、明治時代の略本暦では、「霎時施(こさめ ときどき ふる)」と、江戸時代の宝略暦などでは「霎時施(しぐれ ときどき ふる)」と、しぐれの読み方が異なります。
秋の七草
秋の七草をご存知でしょうか。
奈良時代初期の貴族、山上憶良(やまのうえ の おくら)は、「貧窮問答歌」などで有名な歌人ですが、万葉集にもかずかずの歌を残しており、秋の七草を詠んだものが2首収められています。
秋野尓 咲有花乎 指折 可伎數者 七種花 [其一]
出典 「万葉集 第8巻 1537番歌」
(あきののに さきたるはなを およびをり かきかぞふれば ななくさのはな)
秋の野に咲く花を、指折り数えてみると、七種(ななくさ)の花ある。
芽之花 乎花葛花 瞿麦之花 姫部志 又藤袴 朝皃之花 [其二]出典 「万葉集 第8巻 1538番歌」
萩の花 尾花 葛花 撫子の花 女郎花また藤袴 朝貌(朝顔)の花
(はぎのはな おばな くずばな なでしこのはな おみなえしまたふじばかま あさがおのはな)
山上憶良がこの二首を詠んでから、秋を代表する草花として、秋の七草が親しまれるようになったと言われています。
なお、憶良が詠んだ七草は、現在の草花と異なるものがあります。
憶良が詠んだ秋の七草 | 現在の名前 |
萩の花 | ヤマハギ、ハギ |
尾花 | ススキ |
葛花 | クズ |
撫子の花 | ナデシコ、カワラナデシコ |
女郎花また藤袴 | オミナエシ・フジバカマ |
朝貌(あさがお)の花 | キキョウ |
山上憶良が詠った歌は、私たちにも気持ちが十分伝わりますね。
歴史上の人物が詠んだ歌が、1300年後も残り、語り継がれていることを思いますと、不思議な気持ちになりますね。
まとめ
10月の農作業と農事歴について、ご案内いたしました。
昔農家さんは季節を肌で感じながら農作業を行っていました。
現代を生きる私たちも、自然の声に耳を傾け、肌で感じながら、気持ちよく畑仕事を行ってゆきたいですね。
[参考文献]
[10月のお菓子]
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