最愛の人が旅立つとことは、筆舌しがたい深い悲しみと、寂しさがともないます。
人が決して避けて通れない運命といえども、最愛の人と いつかは お別れする日が必ずやってきます。
本日ご紹介する本、「ふたりからひとり~ときをためる暮らし~それから」は、つばたしゅういちさんが旅立った後の英子さんの語り、しゅういちさんの最期など、お二人の言葉が綴られています。
私たちは生涯をかけて、試練や苦難に立ち向かって生きてゆきますが、この本が あなたの心のよりどころになってくれることを願いながら、ご紹介いたします。
「ひとりになって PART1」
しゅういちさんは、「最後はスマートに逝きたいね」と話されていたそうです。
2015年6月2日の朝、ふだん通りに家のうらの草を刈ったあと、眠ったまま旅立たれました。
余りにも、突然に。そして、普通に。
ほんとうに、ほんとうに、しゅういちさんはスマートに旅立たれました。
しゅういちさん最後の日について、しゅういちさんが喜ぶお別れのしかた、そして、お一人になってからの暮らしについて、英子さんは語ります。
「ひとりになって PART2」
英子さんが、お父さん(しゅういちさん)の事について、語ります。
手紙を書くことが大好きだったしゅういちさんの思い出、体調をくずされたしゅういちさんの入院生活のこと、ひとりになってからの暮らしについて。
悲しみにくれていると思いきや、英子さんは強く、ご自身を鼓舞して、奮闘する日々がつづられています。
貯金が1円もないと、娘さんにケロっと話す英子さん。その理由、腹をくくった生き方は、興味深いものがあります。
「心の糧になるもの」
しゅういちさんの散髪は、英子さんがチョキチョキしていました。
その時の思い出、しゅういちさんの笑い声がつづられています。
この章は、夫婦なかよしの秘訣や、弱虫のほうが良い話、しゅういちさんの東京大学時代の人間模様、第二次世界大戦で海軍に志願したことが語られています。
また、しゅういちさんのお父様の回想、88歳にしてタヒチへ再訪した話、はじめての入院について語られています。
「毎日コツコツと」
しゅういちさんが病院を退院されてから、養生日記をつけ始めたという英子さん。徹底的な減塩生活が始まりました。
日記帳はしゅういちさんのお手製です。
しゅういちさんの血圧が上がらないように、英子さんは徹底的に料理の勉強をはじめます。
野菜も肉も湯引きして、しゅういちさんの体調が崩れないようカリウムを取り過ぎないように気を付けます。
今まで以上に食事に気を付け、前進は無理でも後退を遅らせるにはどのようにしたらよいか、英子さんの試行錯誤は続きました。
だしのこと、ちょこちょこと毎日食べてほしいもののレシピも掲載されています。
英子さんは土鍋で何でも料理をします。
ご飯を炊いたり、ジャムづくりや豆煮、煮もの。シチューも土鍋で作ります。
英子さんの実家は、ソニーの創業者である盛田昭夫さんの実家(常滑で代々続く酒屋)と同業者だったということもあり、信頼のおけるソニーの通販で購入した「長谷園の土鍋」をお使いです。
[参考アイテム]
「ある日の会話」
塩を減らした生活も1年半になりました。
しゅういちさんと、英子さんの会話がとても微笑ましいです。
最後の章になる「ある日の会話」は、英子さんの幼少期の思い出、夜中にしゅういちさんが召し上がる「ミッドナイト・サンドイッチ」の話、退院後のルネッサンス、器のはなし、日々の暮らしについて、そして、しゅういちさんが旅立った後の、英子さんのお話でまとめられています。
まとめ「人生が完成する日」
「無関心でいることが、いちばんこわいことなんだよ」とおっしゃっていたという、しゅういちさん。
世の中のことで、自分に関係がないことなんか、ひとつもないと。
政治、経済、自分が直接かかわることではないことでも、一人一人が考えたり、感じたりしていないと、気付いたたときには大変なことに巻き込まれてしまっていると。
しゅういちさんの重みがある深いことば、英子さんの深い思い、強い心。
「ふたりからひとり~ときをためる暮らし~それから」を読んで、人間は、歳をとって衰えていくものではないということを知りました。
前を向いて、美しくある姿。つばた英子さんとしゅういちさん。
お二人の語りは、たいへん心にしみます。
自分はこれから、いかに、どうやって生きてゆこうかと、考えずにはいられなくなる本です。
[紹介本]