幼少期、私はショーケンによく遊んでもらっていた。
彼は面倒見が良く、運動神経が良い優しいお兄さんであった。
子供の頃、埼玉県の与野に住んでいた私は、近所の年上のいとこ、Kちゃんの家によく遊びにいっていた。
Kちゃんの家のすぐ先に、魚屋があった。
ショーケンの家だ。
いとこのKちゃんの家に行くと、私は「ケーちゃんち(ショーケンのこと)に行きたいよ」と、せがんだ記憶が今でもある。
わたしは、ケーちゃんが大好きだったのだ。
テレビに映ったショーケン
「よく遊んでくれた、ケーちゃんよ。」
母に言われてテレビをみると、お兄さんが映っていた。
ショーケンは、テンプターズというグループの歌手になっていたのだ。
しかし私は、「あ、そうなんだ。」と思っただけだった。
なぜなら当時の私は、シカゴ、カーペンターズ、サイモン&ガーファンクルに夢中であり、テンプターズやローリングストーンズのようなグループサウンズは、どうしても興味がわかなかったからだ。
わたしの中から、ショーケンの存在は消えていた。
テンプターズには何となく縁があった
興味がなかったテンスターズであったが、何となく縁があったのは確かである。
ショーケンは与野出身であったが、テンプターズのメンバーは基本、実家が大宮だった。
与野から大宮に引っ越しをした私は、近所の電気屋さんに電球や電池を買いに行ったものだった。
その電気屋こそ、テンプターズのメンバー、田中俊夫氏の家だったのだ。
幼かった私が、初めてお使いに行った店が、テンプターズのメンバーの家。
縁というものは、不思議である。
「太陽にほえろ!」のショーケン
テレビドラマの「太陽にほえろ!」は面白かったが、ショーケンのファッションに、興味を持つことはなかった。
なぜなら、マカロニ(ショーケンの役名)のファッションは、私にとって、いまいちであったからである。
マカロニは、当時流行っていた「JUN」チックのスタイルであった。
「JUNスタイル」は、ヨーロッパ調のウエストがシェイプされたジャケット、パンタロンのような末広がりのスラックス、胸がはだけた襟(えり)が大きいシャツ、ハイヒールであった。
ショーケンのファッションは、私のスタイルと正反対だったのだ。
当時のファッションは、JUN派とVAN派があり、世の中は、JUN派が圧倒的であったが、わたしは「VANスタイル」を貫いていた。
VANスタイルは、スーツのかたちが「ずん胴」で、ボタンダウンシャツが定番である。
今の若者は理解できないだろうが、VANスタイルの人間が、JUNを認めることは決してありえない世の中だったのだ。
なぜなら、それだけ互いのファッションに誇りをもっていたからだ。
太陽にほえろ!の時代は、すでにVANスタイルは落ちぶれてきていたのだが、わたしはどうしても、JUNを「認める」ことは、できなかったのだ。
「傷だらけの天使」のショーケンはイケていた
しかし数年後、「傷だらけの天使」というテレビドラマで、私はようやくショーケンに好感を持ち始めた。
傷だらけの天使は、ハードボイルドなドラマだった。
深作欣二の暴力ありありの世界で、今はきっと放送できない内容かもしれない。
型破りで、道徳観念を突き破るストーリーであったものの、「傷だらけの天使」は正義感があったのだ。
悪い奴しかぶん殴らない。そこが、好きだった。
私に、革ジャンを教えてくれたのは、「傷だらけの天使」と、スティーブマックイーンである。
傷だらけの天使は、スパイダーズ・井上堯之氏のオープニングシーンが最高だった。
ソーセージやコンビーフを食べながら、牛乳をのむショーケン。
当時の男子高校生達はみな、ショーケンに惚れ込んだ。

Type A-2 leather flight jacket
BIGI
傷だらけの天使は、ファッションブランドと、スクリーンが初めて融合したドラマであった。
当時の日本は、ヨーロッパファッションと、アメリカファッションが混在していて、どのような服を着たらよいか、分からない時代だった。
「傷だらけの天使」のデザイナー・タケオキクチは、当時の時代を実によく捉えて(とらえて)いたと思う。
ショーケン
ショーケンのスタイルは、ヨーロッパ調だった。
・白く長いマフラー
・革ジャン
・バギーパンツ
当時友人は、バギーパンツを履いているヤツだらけだった。
水谷豊
私の妻が、相棒なんとかというテレビドラマに興じているのを見ていると、頭が痛くなってくる。
水谷豊は、一体どうしてしまったのだろう。
傷だらけの天使に出ていた水谷は、リーゼントのヤンキーファッションで、実にいい役に徹していたというのに。
ドラマで水谷がリーゼントにしていたのは、アメリカファッションの回帰だったのだろうと思う。
ショーケンと水谷豊。2人のファッションは、対極にあった。
ショーケンは、ヨーロッパスタイルで、水谷豊は、アメリカスタイル。
タケオキクチは、ドラマの中で2つのスタイルを、実にうまくに融合させていた。
坂口良子
傷だらけの天使にゲスト出演した坂口良子をみたとき、いとこのKちゃんのことを思い出した。
坂口良子の役は、ショーケンと幼なじみの設定で、しかもKちゃんと同じ名前であったのは、もしかしたらショーケンの計らいだったのではなかろうか。
少年だったショーケンは、幼なじみのKちゃんに、淡い恋心を抱いていたのだろうと、私は幼いながらに感じていたのだ。
短髪のショーケンはいなせだった「前略おふくろ様」

ショーケンは襟(えり)を強調して着ていた
このドラマで、ショーケンはケンさん(高倉健さん)の影響を受けていると感じた。
バラクータのネイビーブルースイングトップ、グレーのスラックス、そして下駄。
この時のショーケンは、最高に格好がよかった。
わたしが45年前に買った写真のネイビーブルーのスイングトップは、ショーケンの影響だ。
お金を一生懸命貯めて、ようやく買ったものだ。
前略おふくろ様で、短髪になったショーケンは、いなせになった。
わたしは、今まで見てきた日本の俳優で、ケンさん(高倉健さん)が最も格好が良い服装をしていたと思っているが、ショーケンも、同等に引き継いでいたとおもう。
まとめ:さらばショーケン
ショーケンは名優だった。
彼がこの世を去ってから、彼の事を書くことに気が引けるが、今朝の訃報で、わたしの幼少期のころのこと、テレビドラマでみた時の思いが、よみがえってきたのだ。
それで、どうしても筆を執りたくなった。
彼は、わたしのことなど覚えていないだろうが、与野でよく遊んでくれた面倒見の良いお兄さんだったことは、私は知っている。
さらばショーケン。
バラクータの着こなしを教えてくれて、ありがとう。
合掌
【紹介商品】
【関連記事】


