君は、「ヘビーデューティー」という言葉を聞いたことがあるだろうか。
1970年代に、雑誌「メンズクラブ」のイラストレーター小林康彦氏が初めて使った言葉である。
ヘビーデューティーを直訳すると、「丈夫」「実用性本位」という意味をもつ。
君たちは、ご存知だろうか?
今、身に付けているコート、バッグ、靴などは、「ヘビーデューティー」かもしれないということを。
きょうは、君たちが愛用しているアイテム「ヘビーデューティ」が、どのような変遷で、現代ファッションを牽引したかについて、お話しようと思う。
※ 本ページは個人の見解です
アイビーファッションの衰退
私の青春時代は、「アイビーファッション」が最盛期を過ぎた「終焉期」であった。
アイビーファッションは、くろすとしゆき氏が提唱し、1953年~1964年ころに流行した「トラッド・スタイル」である。
時代はトラッド・スタイルから「無風時代」になるのだが、その背景は、ベトナム戦争の終結だ。
要するに「これ」といったファッションが無くなった、ヒッピースタイルの時代に突入したのだ。
日本は、アメリカの影響を受けやすいのは、今も昔も変わらない。
当時の日本は、アイビーファッションの紺のブレザーから、白いTシャツへ。
リーガルのペニーローファーから下駄や運動靴という「何もないファッション」へ変わってゆく。
そして10年後、もともとアメリカを始めとする世界中の「現場」で使われていたアイテムを、「ヘビーデューティー」という概念として日本の街着ファッションとして取り入れられたのだ。
外国の本物志向のライフスタイル・アイテムを「ヘビーデューティー」と確立させ、日本のファッションスタイルへと牽引したのである。
日本のファッションの変遷
下の表は、1953年頃から始まったアイビーファッション、無風時代、そしてヘビーデューティーに至る変遷である。
私の記憶で表したものなので、正確性に欠ける部分もあるかもしれないが、ご容赦いただきたい。
年代
ブランドの変遷
シューズの変遷
アイビー・トラッド
1953~1964年頃に流行したスタイルである。
君たちは「VANジャケット」など、耳にしたことがあろうだろう。それがこの時代である。
無風時代
何も無い時代だったので、勝手に「無風時代」と名付けさせてもらう。
1965~1974年頃の約10年間、ノーブランドで金をかけない時代があった。
中村雅俊が長髪でベルボトムジーンズ、下駄を履いていた時代がまさのこの頃である。
わたしの見解であるが、この「金をかけないファッション」というものは、服飾メーカーにとっては需要がないため非常に困窮しただろうと推測する。
ベトナム戦争が終結し、帰還したアメリカの若者たちはバックパックに荷物を入れて、意識を街から自然へ移し、ライフスタイルを見つめ直し始めたのだ。
そう。当時のアメリカの若者の「本物志向」が、日本に派生し取り入れて、「ヘビーデューティー(実用性本位の)時代」に突入していったというわけなのである。
そして、ヘビーデューティーへ
ヒッピースタイルの時代は10年で終わりをとげ、アメリカ、フランス、イタリアなど、各国の現場で使われていたアイテムを「ヘビーデューティー」と銘打った。
それを牽引し、日本の定番ファッションの礎(いしずえ)にしたのが、雑誌「メンズクラブ」である。
君たちが今、身に付けている「L.L.Bean」「エディバウワー(2021年12月末にて撤退)」「adidas」「レッドウィング」などは、ヘビーデューティーなのである。
ファッションは多様でなかった時代
上の表を見て、君たちは気付いたかもしれない。
当時は、現代のように複数のファッションが並行することはなかった。
つまり、多様ではなかったのだ。
一つのブームが終わりを遂げると、別のブームがやってくる。
例えるなら、キャンディーズが解散した後に、ピンクレディーがデビューしたというイメージだろうか。
暗黒の無風時代
アイビーファッション時代が終焉を迎えたことは、私にとって痛手であった。
1978年にVANが倒産し、トラッドファッションが街から消えた。
同級生が、長髪、ラッパズボンで街を闊歩するようになった時でも、私はアイビーにこだわり、引きずっていた。
多くの友人が中村雅俊と化したというのに、私はボタンダウンのシャツを着て、リーのブーツカットを履いた(リーバイス501を履くのは非常に気が引けた時代であった)。
そして、わけのわからない靴を履く代わりに下駄を履き、大学の角帽をかぶった。
そして、ヘビーデューティーの時代を迎える。
希望のヘビーデューティー
君は、想像できるだろうか?
「何もない」時代から、「自分が持つべきアイテム」が現れた感動を。
今でこそ、多種多様なファッションがはびこる時代を生きている君たちはピンとこないかもしれないが、無風時代を経験した私にとって、「ヘビーデューティー」の到来は、センセーショナルであった。
アイビーファッションを知っている人間にとっては、これ以上インスパイアされるファッションというものは二度と来ないだろうと思っていたからだ。
世界から集まった「ヘビーデューティー」は斬新でクールであった。
一つ一つのアイテムが、低価格でなかったため、それこそ雑誌「メンズクラブ」「ポパイ」を擦り切れるほど熟読し、吟味し、お金を貯めて、時間をかけて手に入れた。
当時のショッション誌は、簡単に廃れて(すたれて)しまうようなアイテムを決して掲載しなかったのも特徴だ。
ヘビーデューティーが上陸した時、私は大学3年生だった。
当時、苦労して購入したものを、今でも覚えている。
VANのCPOジャケット
エディバウワーのバッファロージャケットは高額すぎて買えず、VANの赤色のCPOジャケットを求めた。
リーバイス501
アイビーはジーンズを履くことを推奨していなかったため、リーバイス501を購入したのはこの時が初めてであった。
リーガルのワークブーツ
レッドウィングは高額すぎて買えず、リーガルのワークブーツを購入した。
CAMP7のダウンジャケット
私の記憶では、エベレストの頂上アタックをする時の最後の宿営地を「CAMP7」といったと思う。(現在はCAMP4のようだが)
このダウンジャケットは、エベレストの最後の宿営地で着られたという伝説がある。
エベレストで着用するダウンジャケットを街で着るなど、ずいぶん野暮な話だが、このダウンジャケットだけはどうしても欲しくて頑張って手に入れた。
当時はオレンジの一色のみで、大変クールだった。現在、オレンジ色は販売していないようだ。
ラコステのポロシャツ(赤)
以前から日本にも普及していたラコステが爆発的にヒットしたのは、「ヘビーデューティー」として取り入れられた時であり、提灯袖(ちょうちんそで)が流行したのはこの時だ。(それ以前はペラペラの袖であった)
私は、ラコステが「ヘビーデューティー」として取り入れられたことがとても嬉しかったことを覚えている。
なぜならヘビーデューティーより前のポロシャツは、ブルジョアと庶民が着るものと、二分化されていたからだ。
横浜山手あたりの金持ち(ブルジョア)は、「アーノルドパーマー」や「マンジングウェア」のゴルフウェアに袖を通し、私のような角帽や下駄を履いていた学生たちは、「ラコステ」や「フレッドペリー」などのテニスウェアだった。
ヘビーデューティーが「ゴルフの現場」ではなく、「テニスの現場」を取り入れたことに、私は深く感動した。
ヘビアイ党宣言
1975年か、1976年だっただろうか。
雑誌「メンズクラブ」は、「ヘビアイ党宣言」という号を出版した。
現在の、アウトドアブームのルーツはここにあることを知ってほしい。
ヘビアイとは、「ヘビーデューティー」と、「アイビー」を合体させた造語である。
アイビー時代、雑誌メンズクラブは着こなしを解説する本をたびたび出版した。
それと同じようにヘビーデューティー的なスタイルをマニュアル化したのだ。
雑誌メンズクラブの「ヘビアイ党」を熟読し、完全に頭に叩き込んだ私は、今でもどのようなスタイルが「ヘビアイ党」であるかを空で言うことが出来る。
アイビーファッションとヘビーデューティーが融合された「ヘビアイ党」の出現は、当時の若者を虜にしたのは確かである。
「ヘビアイ党」ファッションの紹介
現在、私が愛用している「ヘビーデューティー」をご紹介しよう。
ビーンブーツ(ガムシューズ)
ビーンブーツの定番中の定番「ガムシューズ」。
1912年に発明家であり、L.L.Beanの創業者でもある、レオン・レオンウッド・ビーンによって初めて紹介されたブーツだ。
現在も、アメリカのメイン州の自社工場で一足一足作られている。
私の足のサイズは25.5cmで、L.L.Beanは、7.5がちょうど良い。
上部(アッパー)に使われている素材は、高品質のフレグレイン・レザー。これが雨や雪を非常にはじくので悪天候に欠かせないアイテムだ。雨の日は必ずこれを履いて通勤している。
ガムシューズの特徴
・雨や雪をはじく高品質のフルグレイン・レザーのアッパー
・フィット感の良い、精巧な足型を使用したボトム
・土踏まずに入ったスチールの補強材で安定感抜群
・優れたグリップ力とドライで快適なはき心地L.L.Bean公式サイトより
ビーンブーツ(ハンティングブーツ6ホール)
高さ20cmのハンティングブーツは、ガムシューズの次に購入した。ビーン・ブーツの困ったところは、もう一足欲しくなるところにある。
最近は妻に付き合って、農作業で履くことが多くなった。
ぬかるんだ畑でもへっちゃらだ。ビーン・ブーツの優れたところはフィット感と安定感、そしてデザインである。
L.L.Bean「トートバッグ」
写真のL.L.Beanのトートバッグは、40年前に購入したものだ。
当時、ビーンブーツを買えなかった私は、どうしてもL.L.Beanが欲しかったのだ。
アディダス「スーパースター」
高校から大学時代は、布製のアディダスを履いていた。
ヘビーデューティーは、フランス製の「アディダスカントリー」が主流であった。
現在愛用しているシューズは、いったい何足目になるだろう。アディダスは私にとって、永遠の「足」である。
写真のトリコロールはボロボロであるが、今でも履き続けている。
アディダス スタン・スミス
カリフォルニア出身の名テニスプレーヤー「スタンレー・ロジャー・スミス氏」の名前を付けたシューズもヘビーデューティーから外せない。
スタンスミスのファーストモデルが発売された年は、1971年。私は高校1年生だった。
テニス部に所属していた私は、スタン・スミスがマストアイテム。
爆発的に売れて、友人たちが履くシューズはスタン・スミス一色だったことを覚えている。
50年後の現在、街でスタン・スミスを履いている若者を見かけると、ヘビーデューティーが現代も継承されていると実感する。
レッドウィング8103
ヘビーデューティーが日本に上陸した当時、私はレッドウィングを買うことが出来なかった。
このシューズこそ高額で、簡単に手に入れられる代物ではなかったからである。
写真の「レッドウィング8103」に出合ったのは、今から10年前。
当時住んでいた家の近くにある古着屋で手に入れた。
レッドウィングという名前のごとく、赤い色合いが実にクールである。靴擦れすることもなく、ご機嫌の履き心地である。
まとめ
アイビーファッションの価値観を大きく変えたのが「ヘビーデューティー」であった。
アイビースタイルが衰退し、何もない時代を経て、アメリカを始めとする世界で実用的に使われていた「本物」を取り入れた「ヘビーデューティー」。
ヘビーデューティーが現代ファッションの「安定の領域」となった背景に、シンプルなデザイン、品質の良さ、着こなしの自由度が高いところにあるだろう。
ヘビーデューティー時代に突入した当時は、街に「山男、山女」が現れて、話題になったものだ。
今、君たちが愛用しているシューズ、ジャケットは、このような変遷で、日本に定着したことをお解りいただけただろうか。
現在のアウトドアブームのルーツは、ここにあったのだということを知っていて損はないだろう。
※ 本ページは個人の見解です
[紹介アイテム]
・C.P.O ウールジャケット バッファローチェック & 無地
・リーバイス] 501 ORIGINAL FIT レギュラー ストレート
・エルエルビーン ボートアンドトートバッグ(ダークグリーン)
[参考サイト]
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